| 旧古川庭園・洋館
理事長 お出かけ写真 2008-11-26 13:20
39 0
「洋館」 昔、オフコースのPVに、この場所を使ってた!って・・知ってる人居るかな??^m^ |
|
| 旧古河庭園・洋館
理事長 お出かけ写真 2008-11-24 22:10
30 0
| 砂利道で車椅子は、とっても大変だけど、行く価値あり! |
|
| 紅葉狩り
理事長 お出かけ写真 2008-11-24 22:01
29 0
旧古河庭園にて・・ まだ、見ごろには、少し早かったかな。。 |
|
| 韓国人原爆犠牲者慰霊碑が語るもの
imaty お出かけ写真 2008-10-20 12:52
151 1
平和記念公園には、TVでもよく映る「原爆死没者慰霊碑」がある。これは終戦から7年後の1952(昭和27)年8月6日に建立された。今でこそこの慰霊碑の中には、国籍に関係なく氏名の分かる犠牲者は名簿に記載されて収められているが、建立当時からつい最近まではそうではなかったらしい。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑については、1970年に在日韓国人有志の呼び掛けで建立。当時の広島市の意向で公園内での設置が認められず、当初は川を挟んだ対岸に建てられ、「民族差別の象徴」とも揶揄された。しかし、平和記念公園を訪れる外国人などから、「なぜ、公園の外に設置されているのだ? 中に設置するべき」との声が高まったことと、当時の市長の強い意向で、1990年にようやく公園内への移設の許可が下りたのだという。
終戦当時は一つの国だったが、建立当時の朝鮮半島は、既に南北に分断されていた。在日の被爆者に北も南もなかったが、慰霊碑は「韓国人」と刻まれた。
「差別」「分断」・・・戦争をして良いことなど何もない。被害者も加害者に、加害者も被害者になるだけだ。
戦争を引き起こすのも人間 戦争を止められるのも人間 |
|
| ヒロシマの語りべ(被爆者)
imaty お出かけ写真 2008-10-20 11:01
150 0
在日2世の韓国人「パク ナムジュ」さんの被爆体験を伺った。 今年76歳になる彼女は、1945年8月6日、13歳の女学生時代に路面電車の車中で被爆した。爆心地から2km以内の地点だったが、生死を分けたのは、光(熱)、風を遮る物陰(路面電車と乗客)居たためだったらしい。気がつくと、今さっき窓の外に身を乗り出して「B29が飛んでらぁ」って言っていたおじさんが真っ黒焦げになって死んでいた。一瞬にして広島の街が消えた。人も動植物も消えた。 そんな中、奇跡的にも両親と弟妹の家族5人全員無事だった。ただ、仲良くしていた親戚の伯父も、友達も二度と会えなかった。
8月15日に終戦となり、もう空襲はなくなったが、被爆者の戦いは終わらなかったという。まじめで働き者だった父は、被爆後は別人のようになってしまった。被爆者手帳は懇意にしていた市議会議員のお陰もあり、問題なく給付されたが、在日韓国人というだけで、まともな職には就けなかった。
筆舌に耐え難い惨劇を生き抜いてきたパクさんは、これまで家族にもほとんど被爆体験の話をしたことはなかったという。思い出すには、あまりにも辛過ぎる記憶だからだ。
そんな彼女が語りべを始めたのは、ここ3〜4年前からのことだ。公園で子供らに体験談を話してみたことがきっかけだった。その時の子供らが、真剣な眼差しでパクさんの話に耳を傾け、「戦争はしちゃダメだ!」と言い、手紙もくれた。 「私のこんな辛い記憶を話すことで、次世代の平和を担う子供らの役に立つのであれば、これからは語り継いでいこう」そう思ったのだという。
事実を語り継ぐことの重要さは、障害者問題も含め、同じだ。悲惨な過去こそ、語り継いでいかねばならない。 同じ過ちを繰り返さないために!
パクさん 生きててくれて、話してくれて、本当にありがとう。 |
|