厚労省が提唱する「新しい生活様式」は、人と人のつながりを絶つものだ

関口 悟

 最近まで減少傾向にあった新型コロナウイルスの感染者数が再び増加傾向に転じている。東京でも小金井市で病院内の集団(クラスター)感染が報告された。ここ数日、全国各地でも医療機関内での集団感染が報告されている。

 かぜウイルスやインフルエンザウイルスと比較して、新型コロナウイルスが厄介な点を下記に挙げる。

・感染者が発症するまでの潜伏期間が約4~8日と長い。
・感染者が必ず発症するわけではなく、発症の有無や重症度と他者にウイルスを感染さ
せる危険性に相関性がない。
・現時点で有効なワクチンや治療薬が存在しない。
・発症して入院したが比較的軽症だった患者が、急激な全身状態の悪化を起こして死亡するケースが少なからずある。その一方で発症しても無症状の患者も多く存在する。
・発症者の年齢にかかわらず、持病や障害等の基礎疾患を持っていると重症化しやすい。

 つまり、ウイルスのステルス性[1] が高く、感染が疑わしい者が無意識に外出し、特にホテル・飲食店・百貨店といった訪れる人々の密度の高い場所に出向くことでウイルスが拡散され、その場所にいた人々が感染する。いわゆるクラスター感染と呼ばれるものだ。

そして現状、ワクチンや有効な治療薬がないため、確実な予防手段も確立された治療法もなく、発症した際の症状も定まったものがなく、感染したことさえ気づかずに無症状のまま治癒する患者もいれば、入院後に急激に全身状態が悪くなり死亡する患者もいる。

 海外の一部の国のように、新型コロナウイルスの感染拡大が予見された時点で、スクリーニング目的[2] のPCR検査またはX線CTによる肺検査を、全国民に義務づけていればもう少し事態はマシになっていたかもしれない。もちろんPCR検査は完璧ではない。X線CTによる肺検査も同様だ。

そもそも日本の政府は、スクリーニング目的に対応できる検査体制や人材育成の整備に予算を割くことを怠ってきた。

PCR検査等に比して、スクリーニング検査としての確実性が高いと言われる血液抗体検査は、日本赤十字社や一部の病院が輸血用血液検査の一環として行っている程度で、厚労省から体外診断用医薬品として承認された検査キットは存在しない。さらに識者の中には抗体検査の精度すらも疑問視する向きもある。

 検査の種類や精度はさておき、検査体制や人材の不備で全国民へのスクリーニング検査ができなかったことも含め、ここまで事態が大きくなったのは、結局のところ日本文化固有の無謬(むびゅう)性[2] が大きく影響している気がする。

海外の国々の多くは「トライ&エラー」、つまり「まずはやってみる。その上で問題が見つかれば、それを修正しより良いものにしていく」という文化がある。日本の場合「最初から不備や欠陥のない完璧なものでなければ許されない」という空気がとても強い。

スーパーマーケットに並ぶ野菜や果物でさえ形や色が均一に揃っている。そうでなければ消費者が買わないからだ。ぼくの感覚では障害者や外国人といった社会的少数者を排除する論理にも共通するものを感じる。

極めて無謬性の強い日本文化と、従順かつ規律を重んじる日本人の国民性が、高度成長期にアジアのただの島国に過ぎなかった日本が、自動車や家電製品で市場に独創的な商品を送り出し、世界にその存在感を示す大きなきっかけになった。

しかし、今の時代は中国や韓国といった他のアジア諸国の自動車会社や電機メーカーが「トライ&エラー」の手法や、欧米メーカーとの連携で技術革新をリードし始めると、日本固有の無謬性や、「ガラパゴス」と揶揄された排外的な自前主義は技術革新の妨げになっていった。

そして、「緊急事態宣言」が解除された現時点で、今後予想されるウイルス感染拡大の第二波を防ぐために、厚労省は専門者会議が提唱する「新しい生活様式」[4] を提示する以外方法を持たなかった。詳細はとても長くなるので、脚注に厚労省ホームページへのリンクを張ったが、分かりやすくいえば、人と人の接触を可能な限り減らし、人間関係を希薄にする生活スタイルと言える。

このような生活スタイルを一律に国民に遵守させるのは、人々の生活や生き方の多様性を無視した行為だ。また全国民に対するスクリーニング検査の是非、使われるべき検査法等、感染症専門家の見解も現時点で統一されたものはない。

そういう状況で、専門家会議が主張する「新しい生活様式」を無批判に国民に押し付けた厚労省や政府は何も考えていないのか。200億円かけた上に不良品が多発した「アベノマスク」を配布するより、そのお金で他に出来ることはあったはずだ。

そして、従順かつ規律を重んじる日本国民の中から「自粛警察」のような自警団的な組織が生まれ、「新しい生活様式」を守らない者たちや店舗に嫌がらせ行為をする。

この状況で営業を自粛せざるを得なくなったホテルや飲食店等の中には、経営が立ち行かなくなり閉店するケースも少なくない。その中には大手チェーンの店舗や有名ドラマのロケ地として聖地と呼ばれていた店もある。

持続化給付金支給等の新型コロナウイルス問題で経営難に陥った業態への政府の対策は常に後手後手に回っており、個人経営の飲食店で先の見通しが立たなくなった経営者が自殺に至ったケースが週刊誌で報道[5] されている。その一方、ネットニュースでは「4月の自殺者 昨年比20%減」といった一見矛盾する報道[6] がある。

「視点や立場の違い」と言ってしまえばそれまでだが、政府の対応やぼくらの姿勢も含めて、これは「人災」といっていいと思う。未だ決め手のある解決策のない新型コロナウイルス問題にこそ、ぼくらの正しい対応が必要とされている。


[1]
感染症ウイルスの発見されづらさ。元々は戦闘機等の敵国側への探知されづらさを意味する軍事用語。転じて、コンピュータウイルスや宅内無線LANの発見されづらさの指標としても使われている。

[2]
ウイルス感染が疑わしい者のふるい分け。

[3]
「(その行為に)責任を持つ者として、間違いや失敗は少しでもあってはならない。そして失敗したときの対策を考えてはならない」とする考え方。日本固有の全体主義や、特に日本人が重視する暗黙知(後述)との関連が深い。「完璧主義」と言い換える方が分かりやすいかもしれない。日本企業から「世界を変える」ような革新的な技術が生まれない理由でもある。暗黙知=「職人の勘」というような自らの経験に強く依存する知識。論理的ではないので言語化できない。多くの日本人は、仕事や日常生活をしていく上で言語化できない互いの感情(「場の空気」とも言える)や知識を即座に感じ取る力が高く、集団で円滑に企業等の組織を回していくために暗黙知を重視する傾向が強い。

[4]  https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_newlifestyle.html

[5]
「シリーズ[コロナ失職の悲鳴]新型コロナで閉店ラッシュの飲食店。北海道では自殺する経営者も…」週刊SPA! 2020/04/14号掲載分より https://nikkan-spa.jp/1658010

[6]
「コロナ禍で『自殺者20%減』のホントの理由とは? 人が死に至るのは『ウイルス』よりも『対人ストレス』の方だった――!?」 TABLO 2020/05/14付 https://tablo.jp/archives/23387