ジュネーブ(ヨーロッパアクセス)報告

※この原稿は2022年にJILの国際機関誌「Lead on! Times 第8号」に寄稿したものです。

 2022年8月下旬の10日間、ジュネーヴ、パリ、ブリュッセルを訪問してきました。ヨーロッパの地に降り立つのは今回が初めてで滞在期間も短かったですが、自分なりに様々な気づきがありました。バリアフリー情報に関してはすでにJIL政策ニュースレター等で報告しているので、そちらを参照していただけたら幸いです。このレポートでは旅行中に起きた出来事や些細な気づき等を振り返っていきたいと思います。

●コロナ禍の海外遠征

 これまで海外には何度か行ったことがありますが、コロナ禍の今回は事前準備が大きく異なりました。私が渡航した8月時点では帰国の72時間前にPCR検査を行い、陰性証明を発行してもらわないと日本に入国できないとなっていました(このルールは9月に廃止。惜しかった〜)。今回滞在したヨーロッパの国では入国時の陰性証明が不要でしたが、日本では必要。つまり、出国したは良いが、万一渡航中にコロナ陽性になってしまったら帰国できないのです。そのため、 PCR検査場が車いすでアクセスできるのか、そこまでの交通手段はあるのか等を調べる作業もこれまでの事前準備に加わりました。また、万一帰国できなくなった場合に備えて車いすで泊まれるホテルをいくつかリストアップしておくことや、介助者のスケジュール調整が必要でした。そんなこんなで頭の中はコロナ対策でいっぱいでしたので、肝心の観光や都市のバリアフリー情報は十分に調べる余裕がありませんでした。STEPえどがわの今村代表からは「ヨーロッパはあまりバリアフリーじゃないから電動車いすだと大変だけど、頑張ってね〜」と言われ、不安は募るばかり。ま、今村さんも何年か前にヨーロッパに行って、(車いすごとひっくり返ったりしていたけど)生きて帰ってきたから何とかなるでしょう…。

●飛行機での旅は好きだけど嫌い

写真説明:
ビジネス席に座ってピースをしている工藤。
着陸後に自分の車いすがなかなか届かず、スタッフからの配慮で少しでも身体に負担がないように空いているビジネス席に座らせてもらえた。
エコノミー席に比べてゆったりしていて、背中、足、ひじ掛けの角度や高さをボタン操作で変えられとても快適だった。
ビジネス席に座ってピースをしている工藤。 着陸後に自分の車いすがなかなか届かず、スタッフからの配慮で少しでも身体に負担がないように空いているビジネス席に座らせてもらえた。 エコノミー席に比べてゆったりしていて、背中、足、ひじ掛けの角度や高さをボタン操作で変えられとても快適だった。

 飛行機で出かけること自体は非日常的な体験でワクワクするし、空の景色や空港に降り立った瞬間の空気が何とも言えないパワーを感じます。でも、車いすユーザーが飛行機に搭乗するまでの煩わしさや機内での快適度、スタッフの対応に毎回エネルギーを吸い取られ、乗るだけでヘトヘトになってしまいます。今回も利用したそれぞれの空港で必ず何かしらのトラブルが起き、その度に私はモヤモヤしていましたが、先輩の当事者リーダーたちは吠えていました。自分が理不尽な扱いを受けたら、相手が言葉の通じない外国人だろうがガタイの良い強面のスタッフだろうが、怯むことなく抗議する先輩方の姿はとても心強いものでした。

乗り継ぎのドバイ空港では、誘導スタッフの時間の読みが甘く、私たちが機内に乗り込んだ時点で予定より2時間遅れ。乗り継ぎ時間は4時間もあったのに、なんでやねーん!と突っ込まずにはいられません。先に乗り込んでいた他の乗客たちは2時間ずーっと機内で待たされていて、とても気まずい思いをしながら乗り込んだわけですが、私の視界の中にはイラつく様子を見せたり、文句を言ったりする人がいませんでした。なるほど、こういう文化なのか、と思いつつ、自分は悪くないのに何だか申し訳ない気持ちでした。日本だったら確実に嫌な顔をされていただろうと感じたからです。その時いかに私は健常者の顔色を伺いながら生きているのかと実感しました。

●ジュネーヴの光と影

良い面がたくさん見られた一方で、影の現実も見たような気がします。街中を散策中、空き地のようなところにアーティスティックな壁画を見つけ、わぁ~すごい!と思わず写真を撮っていると、そこはごみ集積所でした。そしてごみ収集車の影に隠れて20代くらいの若者たちが腕に注射針を刺していました。驚いてすぐにその場を離れましたが、国連に行った後に見たその風景はしばらく頭に残りました。

写真説明: ごみ集積所の壁一面にスプレーで描かれたグラフィティアート。紫、黄色などカラフルな色で文字や人物が描かれている。 ジュネーヴ駅から徒歩30秒ほどの、多くの人が行きかう歩道の脇にひっそりとあった。
ごみ集積所の壁一面にスプレーで描かれたグラフィティアート。紫、黄色などカラフルな色で文字や人物が描かれている。 ジュネーヴ駅から徒歩30秒ほどの、多くの人が行きかう歩道の脇にひっそりとあった。

 ジュネーヴの街はとても綺麗でした。歩道にゴミは落ちてないし、アメリカのようにエレベーター内で異臭がするということもありませんでした。国連欧州本部があることが関係しているかどうかはわかりませんが、街中で車いすユーザーもよく見かけました。障害者を街で見かけるということはそれなりにバリアフリーが整っているんだなと想像でき、実際にトラムや路線バスも快適に乗れました。”電動車いすに乗っている重度障害者で言葉もよくわからない女性”である私に対する人々の対応も自然体でした。海外に行くといつも「自分が障害者であることを忘れる」という感覚がありますが、それは物理的な環境以上に周りの人々から自分に向けられる視線や態度がそう感じさせるのだと思います。ジュネーヴでもそんな感覚がありました。

●パリの洗礼

写真説明:
介助者と駅スタッフに担がれながら電車を降りる井谷さん。
車両とホームの間には大きな段差と隙間が見える。
介助者と駅スタッフに担がれながら電車を降りる井谷さん。 車両とホームの間には大きな段差と隙間が見える。

 私にとってパリの印象は「刺激的で過酷な場所」です。パリに到着してすぐ、私たちはピンチに陥りました。ジュネーヴで頼んでおいたスロープが到着駅で用意されていなかったのです。スタッフは何を勘違いしたのか手動車いすを用意して待っていました。スロープを用意して欲しいと伝えると、「用意できるまでに20分かかる」とのこと。そして無理やり担いで降ろそうとしてきました。簡易電動車いすの井谷さんはどうにか降りられましたが、私の電動車いすは体重も入れると200kg近くあり、30cm以上の段差・隙間を担いで降ろすのは危険です。パリの洗礼に苛立ちとショックを感じていると、数分後もう一人のスタッフがやってきて車内からしれっとスロープを出しました。「いや、ここに入ってたんかーい!!」と一同総ツッコミ。無事に降車することができましたが、これを機に何だか嫌な予感がしたのはここだけの話…。

駅から外に出ると、人の多さと気温の高さに驚きました。8月のパリは東京くらい暑く、それでいてバスの車内は冷房ついてないし(故障中?)、お店に入っても生ぬるい風がほのかに流れてくるだけ…。えぇ?パリジャンヌたちはこれでやっていけてるの!?と驚き、一緒にいた井谷さん(頸損)を振り返って見ると、やっぱり溶けていました。街中は太陽を遮るものがなく、どの場所からでも綺麗な青空を見られるのは素敵なのですが、体温調節が出来ない障害だとかなりきつそうでした。

●パリでは無力すぎた自分

パリで1日観光を楽しんだ翌朝、高速鉄道Thalys(タリス)でブリュッセルに行く予定でした。ThalysもTGVと同様、オンラインで車いす席を予約できます。そして、この時にパリ初日の「嫌な予感」が的中してしまったのです…。

 パリに到着した日、私は駅でブリュッセルに行く日のスロープを頼んでいました。オンラインでチケットを購入した際「スロープが必要な場合は出発の24時間以上前に連絡すること」と書かれていたためです。到着した足で駅のアシスタント窓口へ行くと「出発時間の1時間前にここへ来れば大丈夫」と言われました。意外とあっさり済んだので安心して出発当日に窓口まで行くと、チケットを見たスタッフが焦った様子で「ここじゃない!」というようなことをフランス語で言いました。一昨日確認した時はここって言ってたのに…。スタッフはなんか色々言ってるけど、フランス語だからわからない。少しして英語を話せるスタッフも来て聞いてみると、どうやら私たちが行くべきところは2駅隣の駅のようでした。その駅はバスでは1時間かかるが地下鉄なら15分で行けるとのことで、今すぐ地下鉄に乗っていけ!と地下鉄の方向を指差しています。事前に見たネット情報ではその路線の駅にはエレベーターがないと書かれていましたが、スタッフは「あっちにエレベーターがあるからとにかく急いで行け!」と言い残していなくなってしまいました。ネット情報より現地情報の方が正しいのかもと思い、言われるがまま行くと確かにありました。地上階から改札階行きのエレベーターが。改札階では切符の購入にも手間取りながらもどうにか購入し、いざ改札へ!さぁ、ホーム行きのエレベーターで降りて電車に飛び乗ればまだ間に合う…!

…あれ?エレベーターが…ない。端から端まで歩いて見たけど、ない。近くにいた清掃員に聞いてもわからないと言われ、改札の呼び出しボタンでスタッフに聞こうとしたけど、フランス語が通じず容赦なく切られてしまいました。絶体絶命とはまさにこのことを言うのだろう。改札階に来てからすでに30分が経っていました。このままでは乗り遅れてしまう。そこで介助者1人に先に地下鉄で向かってもらい、駅員を引き留めておいてもらうことに。車いすの私たちは地下鉄を諦めてバスで向かうことにしました。バスでは1時間近くかかりますが、ヨーロッパの緩さで待っててくれるかも、と淡い期待もしながら希望と絶望が入り混じったよくわからない感情で向かいました。

しばらくして先に向かった介助者から駅に着いたと連絡があり、同時に「Thalysはもう出発しちゃってました!」と。もう、笑うしかありません。後々チケットをよく見返してみると、パリはパリでも高速鉄道が発着する駅は4駅あり、ジュネーヴからパリに着いた時はリヨン駅で、パリからブリュッセルに行く時はパリ北駅なのを私の確認不足でリヨン駅の方に行っちゃってました。リヨン駅の窓口スタッフも「当日ここに来て」って言ってたじゃん〜。同行していた井谷さん&介助者の皆様には、この場を借りて改めて深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした!

●先進国でトイレ難民

写真説明:
車いすトイレの室内。天井にはミラーボールがキラキラ光り、2つの便器が壁を隔てて隣り合わせに並んでいる。壁にはおむつ替えシートが接されている。
車いすトイレの室内。天井にはミラーボールがキラキラ光り、2つの便器が壁を隔てて隣り合わせに並んでいる。壁にはおむつ替えシートが接されている。

 Thalysに乗り遅れた現実を受け入れ始めると、忘れていた尿意を思い出しました。駅にトイレの案内がなくスタッフに聞くと、アシスタント窓口の中に車いすトイレがあると教えてくれました。しかし行ってみると便座が壊れており使える状態ではありません。パリ北駅は地下鉄も高速鉄道も乗り入れるほどの大きな駅なので、車いすトイレも複数ありそうだと思い別のトイレはないか聞くと、「あっちにあるよ~」とのこと。良かった~と思い言われた通りに行くと、今度は車いすトイレが倉庫にされていてまたしても使えず。その場にいたスタッフに別のトイレはないかと聞くと、「地下にあるはず」と。しかし、「あっちにあるよ~」と教えられた地下行きのエレベーターは故障中。そこから地獄のエレベーター探しが始まりました。スタッフに「あっちにあるよ~」と言われて行くと、そこは駐車場にしか行かないエレベーター。また別のスタッフに「あっちにあるよ~」と言われて行くと、上の階にしか行かないエレベーター。もうスタッフは信用できん!と自力で探しても、地下に行くエレベーターがどうしても見つけられません。結局、2時間も駅をウロウロしてようやくたどり着いた地下の車いすトイレは、まるで私を祝福してくれているかのように天井のミラーボールがキラキラと周り、なぜか個室の中に便器が2つもあるという、謎のお金のかけ方…。しかもトイレに入った瞬間、お姉さんに「ここを使いたいなら1ユーロ払って!!」と怒られ(実は有料トイレでした)、車いすユーザーはトイレを使うだけでこんなに苦労するのか、と思いました。

 Thalysに乗り遅れたこととトイレ難民になったことで、私は海外ではめちゃめちゃ情報弱者だと感じました。相手が何を言っているのかわからない、自分が伝えたいことを正確に伝えられない、これは聴覚障害者や知的障害者たちの生きづらさに似ているのかも、と感じて情報保障の大切さを実感しました。そして、もしも駅にエレベーターがあり迷うことなくスムーズに乗れていたら、きっとThalysにも間に合ったんじゃないかなと思います。前日の市内観光では路線バスでどこにでも行けて便利だなと感じていたけど、こういうトラブルに見舞われた時にバス以外の選択肢がないというのは移動の権利がないのと同じようなものだと感じました。

●ブリュッセルで会えた当事者リーダー

 パリでの思い出が強烈すぎて、正直ブリュッセルはあまり覚えていません(苦笑)。街の造りはパリに似ていて、お城のような建物が街の至る所にあり、石畳の歩道も多く残っていました。

写真説明:
パリにて。馬に乗って右手で旗を振り上げているジャンヌダルクの像。
パリにて。馬に乗って右手で旗を振り上げているジャンヌダルクの像。

 ブリュッセルではENILという当事者団体の中で熱心に活動されているナディアさんに会うことが出来ました。ナディアさんは私と同じような電動車いすに乗っていて、ブリュッセルの街を自転車くらいのスピードでビューン!と走っていたのが印象的でした。ナディアさんにパリでの苦労話をすると、少し呆れたような顔で「ブリュッセルも一緒だよ」と言っていました。ヨーロッパは歴史的な建物が多く、景観を残したい人たちの声が強いためになかなかバリアフリーが広まらないのだそうです。また、運動に関わる当事者も年々減っていて高齢化しているとのことでした。それを聞いて私は日本も同じような課題を抱えている気がしました。そして、何か一緒に行動できないだろうかとも思いました。私が2015年にアメリカの障害者運動を見てエンパワーされたように、ヨーロッパや日本の若手当事者たちにも影響を与えられるような何か良いアイディアはないだろうか…。その答えはまだ見つかっていませんが、一つだけわかっていることは、「バリアフリーな社会は自然には出来上がらない」ということ。これまでの経験からも、マイノリティーの当事者がバリアに気づき、声を上げ、行動していくことでしかバリアフリーな社会を作ることはできないと思っています。常に運動の渦中にいると嫌になってしまうことも多々ありますが、無理をせず、自分に出来ることを頑張っていけたら良いなと思います。

●最後に

 今回のヨーロッパ視察をサポートしてくださったJILの皆様、快く送り出してくれたSTEPえどがわのみんな、介助者、通訳の香苗さん、現地でお世話になった方々、日本から応援してくださった方々、猫さんのお世話をしてくれたOさん、どうもありがとうございました。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。